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栗駒
櫻田山神社
櫻田山神社は栗原市栗駒桜田地区にある神社で、正式名称は山神社(さんじんじゃ)。 安産、子育ての神を祀る神社として知られ、毎年4月第2日曜日に行われる例大祭では、妊婦さんに安産祈願の小さな枕が配られます。 飛鳥時代(約1500年前)に創建され、栗原市の有形文化財にもなっています。
若柳
【自然が織りなす 伝統の肌触り】若柳地織 はたや
若柳地織は、明治から大正にかけて栗原市若柳町を中心として盛んに製造された綿織物です。現在ではただ1社だけが伝統の技術・技法を継承し、ふるさとのぬくもりを織り続けています。 宮城県知事指定伝統工芸品に指定されています。 1915年にトヨタの創設者、豊田佐吉翁が発明した「豊田式鉄製小幅動力織機(Y式)」を現在も使用。 現在では部品もほとんどなく、メンテナンスも並大抵のことではないが...
栗駒山エリア 栗駒
栗駒山麓ジオパークビジターセンター
栗駒山麓の地質や地形、人々の営みを紹介するとともに、学びの場や観光の場としてもご利用いただけるのがジオパークビジターセンターです。 3つの展示室では、1億年前から現在までのスケールで栗駒山麓ジオパークの歴史を紹介したり、床一面に広がる空中写真などで地形の特徴や見どころを知ることができたり、さまざまな自然災害の記録と経験から防災・減災について考えることができたりと栗駒山麓ジオパークについ...
花山
仙台藩花山村寒湯番所跡(国指定史跡)
寒湯番所は秋田県に通じる花山越えの秋田口の関所で、「仙台藩仙北御境目寒湯番所」と言われていました。御境目番所となったのは、伊達政宗公が岩出山入りしたあとの慶長年代からで、200余年間、往来する人と荷物の検問を行っていました。 現在は、安政の初期に改築した、四脚門と役宅が現存しています。門には伊達家の紋を配し、釘を使わずくさび止めした総ケヤキ造りの建物です。 役宅に入って天井を見上...
一迫
風の沢ミュージアム
宮城県栗原市にある風の沢ミュージアムは古民家をそのまま生かした美術館です。この建物は築200年近くたちますが、長年放置され、まさに朽ち果てようとしていたものでしたが、この大地の地場に引き寄せられ、出来るだけ手を加えず以前の生活のにおいを残すよう心がけながら修復しました。 この古民家を美術館として新しく活かすことにより、この大地と建物が、ご来場くださる方々の心と響き合い、何かを思ったり考...
金成
金成歴史民俗資料館
1887年(明治20年)につくられた県の有形文化財指定の旧金成小学校校舎を利用した資料館です。 校舎を今に残し、金成の歴史と文化財資料などを展示しており、正面にバルコニーをもつ和洋折衷の美しい外観を保っています。金成の歴史と文化を知ることができます。
旧有壁宿本陣
旧有壁宿本陣は、元和五年(1619年)に奥州街道の宿駅として創設され、参勤交代制度が確立後は、松前・八戸・盛岡・一関の藩主や各藩重臣が通行の際に宿泊した場所として知られています。 現存する建造物は、延享元年(1744年)に改築されたもので、まず目につくのは道路に面して建つ二階建長屋とその脇にある御成門です。どちらも江戸の武士社会の息づかいを今に伝える趣深い建造物となっています。 ...
円通院
「縁結びの寺」「紅葉の名所」として多くの人が訪れる円通院。日本三景の一つである松島にあり、瑞巌寺に隣接しています。 伊達政宗の嫡孫光宗の菩提寺である円通院には、霊廟「三慧殿」があり、支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったとされるバラの絵が見られます。 庭園もこの寺の魅力の一つ。石庭をはじめ特徴ある庭が4つあります。秋には、鮮やかな紅葉が境内を彩り、ライトアップされた水面に映る紅葉は、どこ...
築館
薬師堂(瑠璃殿)
双林寺境内にある薬師堂は「瑠璃殿」とよばれ、市民からは「お薬師様」「杉薬師様」と親しまれてきました。天平宝字4年(760年)に孝謙天皇の勅命で開創され、天台宗の伽藍(がらん)48坊を構える医王山興福寺といわれていました。 その後、度重なる火災で一堂を残すだけになりましたが、天正19年(1591年)に再建されて「双林寺」と改称、宗派も曹洞宗になりました。 現在の建物は蛙股造り方八間...
孤雲屋敷
孤雲屋敷(こうんやしき)は、花山村字草木沢小田に所在した旧佐藤家住宅を移築したものです。七代目当主の重太郎は、この地で生まれ育ち、後に江戸で最大の道場を持った幕末の剣豪、千葉周作の剣士としての天分を認めた人といわれています。 この建物は、桁行20.37メートル(10.5間)、梁間11.64メートル(6間)の木造平屋建て、片入母屋造、茅葺型銅版葺(元は茅葺)で、開口部、間仕切りに柱が1間(けん...
小迫の延年
国の重要無形民俗文化財にも指定されている小迫の延年(おばさまのえんねん)。 延年とは、平安から室町にかけて、僧侶や稚児たちが寺院で盛んに行っていた遊演舞台の総称のひとつですが、小迫の延年は、国の重要無形民族文化財にも指定されており、由来、保存スタイルとも固有のものが見られます。
瀬峰
旧奥州街道(旧奥州街道力石)
奥州街道とは、江戸日本橋を起点に津軽半島の三厩まで続いた、日本最長の街道で、現在その多くは国道4号などになっています。 栗原市を通る奥州街道沿いには、6つの宿場や本陣跡など、当時をしのばせる史跡があちこちに残っています。 旧奥州街道力石は、1083年から1087年の後三年の役の際、源義家の家来、鎌倉源五郎影政が二つあった大石の一つを谷底に投げ込んで、味方を力づけた話とか、松浦佐夜姫...
栗原市山王考古館
「山王囲遺跡」からの貴重な出土品を展示しています。 特に出土量の多かった縄文時代晩期の遺物を中心に、土器、石器、装身具類を常時展示しています。また、これらの出土品をもとに、縄文時代の人々のくらしについてもパネルで紹介しています。
白鳥省吾記念館
白鳥省吾(しろとり せいご)記念館は、1998年(平成10年)7月1日に開館。同時に開館した築館町立図書館(現在の市立図書館)、伊藤記念館と隣接しています。 白鳥省吾の生涯を分かりやすく紹介する施設です。
鶯沢
近代文化産業遺産群
「近代文化産業遺産群」とは、日本の産業の近代化に貢献した地域の建造物や機械、文書などを国が認定する制度です。栗原市の「細倉鉱山関連遺産」は、日本の近代化に貢献した、東北地方有数の金属供給源として、県内で唯一認定されました。鉱業が産業の花形だったころの、まちの輝きとにぎわいの記憶を、訪ねてみませんか。
炭焼藤太の墓
奥州平泉藤原氏隆盛の時代、金成村で炭焼きをしている藤太という貧しい男が、京都から来た姫と夫婦になり、黄金を掘り当てて長者となったという伝説があります。金成地区には、その伝説の夫婦のお墓が残されています。 夫婦は3人の子をもうけ、3兄弟は藤原秀衡に仕え奥州と京を行き来する豪商となりました。中でも、長男の橘治は源義経の東下りの案内人「金売吉次」として有名です。
判官森
栗原市栗駒沼倉の栗駒山麓ジオパークビジターセンター裏にある山に、平泉で自害した源義経の胴体が葬られたと伝えられています。 山頂には義経の胴塚とされる五輪塔と石碑が建っています。また、判官森からさらに上に登ると、義経を守るように弁慶森があります。 旧栗駒小学校の体育館裏に登山道の入り口があり、徒歩10分程度で義経の胴塚までだどり着くことができます。
五大堂
突き出した小島に朱色の橋が架かり、五大堂が佇む姿は、松島を象徴する風景です。 坂上田村麻呂が807年に毘沙門堂を建立したのが始まりで、828年に円仁が五大明王像を安置したことが名の由来となりました。 現在のお堂は、伊達政宗が造営したものです。屋根の下、蟇股には4方向それぞれの干支が彫られ、16世紀後半から17世紀初頭にかけて発展した桃山文化の要素を見ることができます。東北地方最古の桃...
金成ハリストス正教会
金成町上町の酒井篤礼は函館で医業を営んでいたときにロシアの宣教師ニコライより洗礼を受けました。その後、国禁を犯す者として追われ、1869年(明治2年)に金成に来て正教の真理を説いたときに捕捉されました。 2年間の獄舎暮らしの後は東京でニコライに師事した後、再び金成に戻り、仮会堂を建てて布教活動を始めました。しかし、人々の迫害を受けることも多く、1879年(明治12年)にはせっかくの仮会...
志波姫
志波姫神社
志波姫神社は、もと伊豆野権現社という名称でした。築館源光から、江戸時代初期の伊豆野堰開削と同時に現在地に移されました。江戸時代初期の建築で、宮城県の重要文化財に指定されています。 1992年(平成4年)10月27日指定。
瀬峰一里塚
江戸時代の初期に仙台藩により築かれた瀬峰一里塚は、旧奥州街道の脇街道で高清水宿から佐沼宿を経由して登米宿に至った旧佐沼街道沿いにあり、道路をはさんで一対の土盛りが残っています。 一里塚は、江戸時代に全国各地の主要道に36町(約4キロメートル)ごとに築かれた目印で、明治時代以降になると道路拡幅工事などによって大多数が破壊されました。そのため、瀬峰一里塚のように2基とも揃って残っているのは数...
中尊寺
2011年に世界文化遺産に登録された「平泉の文化遺産」。中尊寺は、黄金に輝く豪華絢爛な「金色堂」が有名ですが、「弁慶堂」「薬師堂」「本堂」など他にも見どころがいっぱいです! 850年に高僧慈覚大師円仁によって開山された中尊寺。12世紀初めより、奥州藤原氏初代清衡が大規模な堂塔の造営にとりかかりました。戦乱で家族を失った清衡が仏の教えによる平和な理想社会への願いを込めたとされています。金の産...
政岡の墓
伊達藩のお家騒動を脚色した歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」で有名な「政岡の局」のモデルとなった白河義実夫人のお墓です。 政岡は第4代伊達藩主綱村(幼名亀千代)の「お乳の人」として養育にあたった人物で、毎年4月29日には、政岡の顕彰と慰霊のため政岡まつりが開催されます。
高清水
桂葉清水
「高清水の七清水」のひとつの桂葉清水は、湧出量も多いことから、奥州街道を通る旅人の飲み水として、神社をお参りする人や地域住民のいこいの場として利用されてきました。以前は、酒醸造用として利用するため、仙台以北の13町村にある酒蔵が、冬の醸造期に十石桶を馬車や馬そりにつけ、清水をくみに来ていたといわれています。 1985年(昭和60年)に環境省の全国名水百選に選ばれています。
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