人情薫るまち、有壁①まちあるきツアー編
更新日: 2024年02月19日(月)
今日は宮城県栗原市の北部に位置する歴史深い「有壁(ありかべ)地区」を旅するため、JR東北本線の「有壁駅」に降り立った。
季節は11月上旬ということもあり栗原市内は朝晩の冷え込みも厳しく、日中でもちょっと肌寒いくらい。長袖セーターに薄手のコートを羽織ってきた。
旅人は筆者1人だけど今日はまちあるきツアーに参加するため、2人の案内人と一緒に風情ある宿場町の街並みを散策する。
案内人は有壁地区活性化の発起人の1人でもあり、地区内にある喫茶「ありま館」のオーナーでもある佐々木さん。
『どぉもお~!』
パワフルで元気な挨拶をかけてくれた佐々木さんは、元々は東北各地を飛び回っていたエンジニア!当時は仕事をしながらも、地域の方々とNPO法人旧奥州街道有壁宿助郷の会を立ち上げ活動していたそう。
その後、会社の退職を機に本格的に有壁の歴史や、文化を知りたく「有壁宿まちあるき」を有壁地域おこし協力隊とスタートさせた。
とっても気さくでありながら、まるで人間有壁辞書の如く湧き出すように、有壁の歴史を教えてくれる。素敵な案内人だ。
そして、もう1人の案内人は2021年1月から2023年12月末まで有壁地域おこし協力隊員として活躍していた櫛田さん(※)。人々に愛される親しみやすい雰囲気をまとっている櫛田さんは、『ヘヘッ』と笑う笑顔がチャームポイント!
学生のときから田舎暮らしや地域課題の解決に携わる仕事に憧れがあり、初めて有壁に来た時に、宿場町の雰囲気が残る厳かで神秘的な雰囲気と気さくで優しい地域の人たちに魅了され、有壁地域おこし協力隊へ参加。歴史という難しいジャンルを、わかりやすく面白く説明してくれる。
(※2023年12月末で有壁地域おこし協力隊を卒業。現在も引き続き有壁地区を盛り上げるために、まちあるき案内人を務めている。)
有壁地区は「旧奥州街道 有壁宿(きゅうおうしゅうかいどう ありかべじゅく)」の歴史が現在も息づいている国内でも希少な地。
開宿は遡ること江戸時代中期(1619年)!
東北各地および北海道松前の藩主たちが参勤交代のため江戸まで奥州街道を練り歩き、宿場内の食事処や宿でひとときの癒しを得ていたそうだ。
当時大変な賑わいを見せていた奥州街道は、時代とともに建造物や街並みが「近代化」され、現代を生きる人々は新しい交通手段やルートへと変遷していった。
一方で当時の雰囲気を感じられる情景やいくつかの施設は、現在も眠りについた宝物のようにそっと残されている。そこが歴史が息づいているとも言える、有壁地区のすごいところ!
だけど、1つ問題があった。
残された宝たちは近代化のベールにすっぽりと覆われてしまっていて、なかなか現代の人々には見つけにくい状態に。せっかく観光にやって来た人々も、まるで濃い霧の中をふらりふらりと彷徨うように歩いてしまう。やっぱり、それではなかなか楽しめない。
そこで霧を振り払うようにして眠りについている宝たちを、よりたくさんの人に見せようと立ち上がったのが、当時、有壁地域おこし協力隊であった櫛田さんだ。
地域の人々に声をかけ少しずつ有志たちを集い、時間の経過とともに風化してしまう「旧奥州街道 有壁宿」の歴史を『現代に広く伝えたい、見えないものを見せたい』と約2年間かけて、とある企画を考案。
それが、今回筆者が体験する「旧奥州街道 有壁宿」のまちあるきツアーだ。
そのツアー火付け役の櫛田さんと佐々木さんで構成される「まちあるき案内人」は、いつも頭に「菅笠(すげがさ)」を被り、上着の上から「半被(はっぴ)」を羽織って片手には「杖(つえ)」を持って参加をする。
『参加する人たちに、タイムスリップした気持ちで旅人になってもらいたい』
そう語る2人の声に、筆者も菅笠を被り気分は江戸時代の旅人!
実際に被ると気分が上がって楽しい。
まず2人は有壁駅について教えてくれた。
現在の駅の存在を含めて、有壁地区が昭和時代末期まで繁栄したのは東北本線をルート変更して有壁駅を誘致した旧有壁宿本陣第14代「佐藤庄助(先生)」という人物のおかげだと伝えられているそうだ。
同氏は明治9年生まれの元県議会議員で、当時有壁地区を繁栄させるためには「より一層の交通機関の活用が重要だ」と教え示していたそうだ。
『佐藤庄助は有壁地区をもっと良くするために、有壁駅の設置と同時に駅前商店街の整備を行ったんだよ。このとき、金銭の支援を含めて近郷近在から有志を誘致したんだ。それから、近隣住民には、駅の利用度を向上するためにお金を渡して、”このお金で電車に乗って、いろいろな街を見て刺激をもらってきなさい” と言ったそうだよ。そうやって最終的に地域活性化に繋げて、敬意と尊敬を集めた人なんだよ。すごいよね。』
現在の有壁駅には同氏が行った地域貢献を称賛して、記念碑として胸像が建てられている。
2人の案内人が居なければ胸像にさえ気づかないまま、散策を開始してしまっていたかもしれない。まちあるきツアーの良さは、まさに知られざる話を聞くことができること!先の期待を胸に、次は本格的に「旧奥州街道 有壁宿」の散策へ。
「旧奥州街道 有壁宿」の地図を眺めてみると、そこには「だんご屋」「大だるま」「くまこ屋」など、不思議な名前が目に入る。実はこれ、各商店の「屋号(やごう)」と呼ばれ、本名である「苗字」とは別の呼び名。江戸時代~明治にかけて使われていたもので、その家の職業や立地などの特徴から呼ばれるようになったもの。街道宿場沿いには24、5軒ほどの屋号が存在し、現在でもその名で呼び合うことがあるそう。
たとえば屋号が「うどん屋」だと、うどん屋じゃないのに『おーい!うどん屋。』と呼ばれたり、「井戸端会議」していた訳じゃないのに『井戸端の奥さん』と呼ばれたり。屋号って面白い!
櫛田さんがかつて有壁地域おこし協力隊として有壁地区の人に関わっていた時に、江戸時代から使われている屋号を今も使っているのが面白い、屋号の由来を知ると宿場町のときの有壁が想像できる、ということに気づき、案内人の2人がまちあるきツアーをする時には、屋号をお持ちの皆さんにお願いして、屋号の看板を下げてもらうそう。散策した当日にも「町切さん」という苗字ではないけれど、「町切(ちょうぎり)」の屋号がしっかりと下げられていた。
屋号を掲げられる街って、風格があって素敵!
さあ、有壁駅から歩いて間も無くすると、地域密着の雑貨店「北海道屋商店(ほっかいどうやしょうてん)」に到着。
同店はちょっとスペシャルなお酒も販売するお店で、地元の萩野酒造のお酒はもちろん、他では販売していない珍しいお酒も販売している。
やっぱりお酒が買える場所はいつの時代も大事!
萩野酒造は創業1840年という長い歴史のある酒屋で、現在も地元農家さんと協力しながら、こだわりの純米酒だけを造り続けている。
歴史があるということは・・・
そう!屋号があり、旧有壁宿本陣の「脇本陣(わきほんじん)」と呼ばれている。
当時の有壁宿には「本陣」と「脇本陣」があり、いずれも特別な「宿」だった。ただ1つ大きな違いがあり、旧有壁宿本陣には参勤交代時に殿様と家老や警護の従者など、身分の高い人しか宿泊できないという規則があり、次席以下の身分の者が脇本陣に宿泊した。
一方で共通することは、当時旧有壁宿本陣と脇本陣だけには門を建てることが許されたそうなのだ。昔は身分をきっちりと分けていたんだなぁと、モヤモヤっと当時の様子を勝手に想像・・。
案内人の2人の話を聞いていると、不思議と過ぎ去った歴史なのになんだか息を吹き返して、まるで今のことのように想像してしまう。これがまたまちあるきの面白さ!
旧奥州街道沿いには脇本陣の萩野酒造の他にも、有壁地域に根付いた手仕事業が多数存在する。冬の風物詩でもある雪吊り(ゆきづり)用の「わら縄」を製造している「株式会社 有壁わら工品工場」はその1つ。現代ではとても希な、わら縄づくりの専門工場で、毎年冬にたくさんの木々が雪の重みに負けず、折れずに無事でいられるのは、わら縄のおかげなのだ。
そう考えると手仕事は絶やすことができない貴重なもので、仕事人そして地域にとっても誇りとなる存在。これからも有壁の地で歴史を積みながら、素晴らしい技術でみんなを魅了してほしいと感じた。
2人の案内人が織りなす当時の有壁宿の話を聞いて、すっかり気分は江戸時代を生きる旅人となった筆者。菅笠姿もちょっとは板についてきたかもしれないと感じた頃、旧奥州街道沿いの街並みの風景は少しずつ山景色へと移り変わっていた。
そして、たどり着いた先は曹洞宗の「観音寺(かんのんじ)」という1軒のお寺で、なんと創設は平安時代初期(807年)と非常に由緒あるお寺だ。現在も変わらず有壁地区にどっしりと腰を据えて、日々地域の人々を見守り続けている。
案内人の佐々木さんは『こっちだよ』と、軽い足取りでひょいひょいっと観音寺の脇の小道を登っていく。
実は、観音寺の裏手に別の神社が存在するというのだ。
すると見えてきたのは「観音堂(かんのんどう)※別名:水月堂(すいげつどう)」というお堂。ここが神社かな?と思いきや、実は通過点!
注意深く周囲を眺めると、観音堂の向かって右奥に竹林に沿って小道が伸びているのを発見。案内人の2人とともに、ゆっくりと近づいていくと・・
そこには青々とした竹林の間を切り開いてつくられた美しい道の姿!
『うわあ・・・・!』
上を見上げれば清々しい竹の合間から木漏れ日が差し込み、『さあ、奥へどうぞ』と言わんばかりに、竹の葉のサラサラっと擦れるやさしい音が心地良い。
『こっちこっち!』
先に奥へと進んでいた佐々木さんの元へ向かうと、ぽっかりと空いた空間にお目当ての「秋葉神社(あきばじんじゃ)」がそっと存在していた。周囲を取り囲む竹に護られるようにして、ひっそりと佇む姿は神秘的。
これから訪れる方へのおすすめポイントは、神社自体だけでなく周囲の空間も含めて、広い視野で絶景を楽しんでみてほしい。筆者が訪れた日はちょうど太陽の光も朧げで、同神社の真上からふんわりと優しい光が入り込み、素敵な光景を目にすることが出来た。
ぜひ現地に向かう際には、天候を要チェックしていこう!
『見えないものを見せたい』
今回のまちあるきで最も楽しく印象的で沁みたことは、有壁の歴史的な街並みもさることながら2人の案内人との交流だ。自由気ままな一人旅もいいけれど、有壁に存在している深い歴史は1人ではなかなか「見えないもの」。
現代から過去へ、時を超える旅に出かけてみよう。
菅笠に半被を羽織った2人の旅先案内人が、たくさんの旅人たちを待っているぞ。
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有壁地区には、まだまだ魅力がいっぱい!
こちらの続編記事も、ぜひご覧ください。
▷▶『人情薫るまち、有壁②史跡&食事処編』https://visit-kurihara.travel/